雑感コラム こだまと山びこ (2022.04.13)
山に登った時に、「ヤッホー」と叫んでみたくなることがある。聞いてみたら誰でもほとんどの人がそのように思うらしく、山に登ると「ヤッホー」と叫ぶのは、人として当たり前のような話なのかもしれない。
ヤッホーと言ってみると、ヤッホーという声が、向かい側の山や岩肌にぶつかって跳ね返って来る。この跳ね返ってくる声が心地よいのだが、これはいわゆる「こだま」が聞こえてくるということになる。
「こだま」は、声が届く山々によって、いくつかの時間差が生じて繰り返される。目の前の山や岩肌から順に、ヤッホーという自分の声が、反射されて聞こえてくるのである。それは何とも気持ちが良いことになる。
ところで、山に登った時、ヤッホーと叫ぶのは何故なのだろう。
これには諸説があるようだ。その一つが、ドイツのキリスト教宣教師が、高い山に登った時に、その頂上から見た景色があまりにも美しく素晴らしかったので思わず発した言葉から来ているという説である。景色に感動し、山を登り切ったという達成感から、ドイツ語で神を表す「ヤハウェ」と叫んだというのである。
この話が、さらに発展した説もある。「ヤハウェ」という言葉が、人に伝えられていくうちに「ヤッホー」になったという説である。そしてもう一つ。「ヤハウェ」という神を表す言葉を軽々しく言ってはいけないので「ヤッホー」と変えて言ったという説である。
いずれにせよ、人は山に登ると、思わずヤッホーとか言いたくなるものだ。言葉の由来は別にしても、叫んでしまうのである。そういう自分の声が、山々に反射して聞こえてくる。その聞こえてくる声を特に「こだま」と言ったのである。
「こだま」のこと、つまり跳ね返って聞こえてくる声のことをもう一つ別な言い方をすることがある。「山びこ」と言うのである。
考えてみると、「こだま」とか「山びこ」とか、その違いをあまり考えずに使っているのが普通だろう。山間に山があり、谷でも壁や大きな面があって、そこで大きな声を出してみると、その声は見事に反射して跳ね返ってくる。それは「こだま」であり、「山びこ」なのである。
過去の古い時代から今日まで、こだまや山びこは私たちの身近にある。山に行ったり、どこかに行ったり、いろいろな機会でその存在を知るということになるのである。
「山びこ」と「こだま」。この二つの言葉に共に共通していることは、どちらも山や谷などで、大きな声を出したり、手を叩くなどして大きな音を出すと、その音が山に当たって返ってくる現象である。だから、この現象を「山びこ」と表しても、「こだま」と表しても、どちらでも間違いでは無いのだろう。
しかし、「山びこ」と「こだま」、どちらも全く同じ意味を持つのか、と言えばそうではないようだ。
「山びこ」は漢字で「山彦」と書く。これは、「山の神」、「山の精霊」という意味を表している。山や谷などで発した音、それが何かの拍子で跳ね返ってくる。その現象を、山の神の声として捉えているのである。
「山びこ」とは、山の神のことである。自分の発した声や音に、山の神々が返事をしてくれた、ということになる。そのことを言い表しているのである。
「山びこ」が「山の神」と捉えられているのに対して、「こだま」は「樹木の霊」と捉えられている。漢字で書くと「木霊」(こだま)となる。
「こだま」は、さらに「木魂」「谺」などとも書き表される。「木の精霊」のことを表しているのである。山の神である「山彦」と違い、平地や狭い場所などで起きることにもその意味がある。跳ね返る、響き、という意でも使われるのである。山や谷から自分の発した声や音が返ってくるのは、「木の精霊」の行うことだと言い表しているのである。
「山びこ」と「こだま」、どちらも、山や谷で音を発したとき、それが反射して返ってきて、遅れて聞こえる現象のことをいう。「山びこ」と「こだま」の違いは、声や音が返ってくる現象を「山の神」からの返事と捉えるのか、「木の精霊」からの返事と捉えるのかという解釈の違いということになるのである。
そういえば、何かを山で叫んでみた時、言ったことと違うようなことを聞いたことはないだろうか。別な、何か声のようなものを聞いたことはないだろうか。聞き間違いのようにもあるのだがそうではないかもしれない。確かに何かが、別な言葉のような何かが聞こえてくることがある。聞こえたかもしれないとか、そういうことを含めて起きているのである。
それは、山の神の声であるかもしれない、木の精霊の声であるかもしれない。
さあ、どこか「山びこ」や「こだま」の聞こえるところに行って、何かを叫んでみることにしよう。何か優しくて嬉しい声のようなものを聞いてみることにしよう。
黒木美喜