雑感コラム 蛍の光 (2025.11.26)
閉店直前の店に入ると蛍の光の曲が流れることがある。いわゆる閉店時間を知らせる役目があるのだろうが、その日のうちに手に入れておきたい急ぎの買い物があったりすると慌ててしまう。ゆったりとした曲ではあるのだが、以前は卒業式などでは必ずこの曲が流されていた。だからこの曲を聴けば、何かが終了という意識になってしまうのである。
さすがに近頃は、卒業式にこの曲が流されるのは殆どないようだ。しかし、百貨店や店やレストランなどの店舗では、今でも閉店時に流れていることが多い。先日も閉店間際に東京銀座の鳩居堂に入ったら、この曲が流れていたので少し驚いた。結局、その日最後の客になって、店の人に丁寧に見送られて退店したのだが、久しぶりに聴くこの曲が妙に耳に残って新鮮に思えたのだった。
学校であれば卒業式とか終業式とか、卒業や学年の終わりのときにだけ流されるのがこの「蛍の光」である。もう終わりなのかという、どこか物悲しいような寂しいような気持に襲われ、哀愁が湧くのだが、その一方でそれぞれのこれから先の行く手を前にしての激励のようなものでもある。それまでの時間の名残を惜しむかのように流れていくのである。
「蛍の光」は、1881年(明治14年)に「小学唱歌集初編」で発表された日本の唱歌である。その原曲はスコットランド民謡の「オールド・ラング・ザイン」で、日本語の歌詞は国学者の稲垣千穎(ちかい)によって作詞された。
原曲の「オールド・ラング・ザイン(Auld Lang Syne)」は、アメリカやイギリス、スコットランドなど英語圏の国々では、大晦日のカウントダウンで年が明けた瞬間に歌われる新年ソングとなっている。歌詞の内容は、古い友人と再会して昔を懐かしみ、酒を酌み交わすというもので、お別れの歌というよりは、友情を祝う歌として歌われるという。
BGMのように聞き流すと分かり難いのだが、「オールド・ラング・ザイン」を3拍子に編曲したものは「別れのワルツ」という曲である。厳密にいうと、この曲が店の閉店時などに流される。そして原曲、4拍子のものが「蛍の光」である。しかし、曲調は同じだから、一般にはいずれもが「蛍の光」の曲ということでいいのだろう。
稲垣千穎によって歌詞がつけられたのだが、作詞された「蛍の光」は次のようなものである。

蛍の光 窓の雪 書(ふみ)読む月日 重ねつつ
何時(いつ)しか年も すぎの戸を 開けてぞ今朝は 別れ行く

止まるも行くも 限りとて 互(かたみ)に思ふ 千万(ちよろず)の
心の端(はし)を 一言に 幸(さき)くと許(ばか)り 歌ふなり

筑紫(つくし)の極み 陸(みち)の奥 海山遠く 隔(へだ)つとも
その真心は 隔て無く 一つに尽くせ 国の為

千島(ちしま)の奥も 沖繩も 八洲(やしま)の内の 護(まも)りなり
至らん国に 勲(いさお)しく 努めよ我が兄(せ) 恙(つつが)無く

歌詞の意味は、最初の「蛍の光 窓の雪」は、中国の故事「蛍雪の功」に由来する。」貧しくて明かりをとる油もなかったが、蛍や雪の光で書物を読み勉学に励んだ。そして出世して、次の道に進んでいくというようなことである。
そういう、終了と、それからの出発を意味するようなものだが、3番、4番になると、自分の国の端までも良くするために出来ることはせよ、というような時代を伺わせるような個所もある。国を愛するという意味では普通のことだろう。
鳩居堂は京都に本店を置く。店の由来である「向い鳩」の家紋は、先祖の熊谷直実が源頼朝から贈られたものであるという。1663年に20代目の子孫が薬種商を開き、文具品や香を扱う現在の業態に至っている。1869年、京都に日本で最初の小学校である柳池小学校が設置されるのだが、その基となるのが鳩居堂の寺子屋だった。「蛍の光」が小学唱歌として選ばれたのはその少しあと、1881年のことである。
鳩居堂を出て街に出た。にぎわう街並みに多くの人達が行き来している。キンコンカンと隣の和光の時計塔から時を告げる鐘の音が聞こえてきた。和光の服部時計店は1894年から店をそこに構える。現在の和光堂の建物は1931年に建造されたものである。あの第2次世界大戦の空襲の戦火の後も、大理石でできた建物はそのまま残った。戦後80年である。いろいろなものを見ながら時計塔は鐘の音を鳴らしているに違いない。蛍の光のメロディーが、頭の中で混じり合っていた。
黒木美喜